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60歳

深夜12時の時計を見て「パパ 60歳 おめでとう! すっごく若いよ!」と笑う妻とは36年の間暮らしてきた。

子供の頃は誕生日が楽しみだった。函館の駒場小学校の何年生だったかは覚えていないが誕生日の日にちのことで友達数人に嘘をついたことがある….「オレの誕生日は5月5日のこどもの日だぞ」と…..

国鉄団地や自衛隊官舎ばかりの駒場小学校で誕生会に友達を呼ぶことが流行りだしていた….私のほかに一軒家に住む友達は数人いたが、同級生は皆、団地や官舎なので彼らの誕生日に行った記憶はないが、今から思うと呼ばれていなかったかもしれない。

函館に今でもある丸井今井デパートの経営者の孫だとなんとなく聞いていた今井君の誕生日は素敵だった….まずお母さんが美しい人で女優さんかと思った。ポッキーもお土産で一人ひと箱もらい、『今井君の家に生まれたかった….』と心から思った。

「ただいま。母さん オレも誕生会やりたい」とウキウキして帰宅すると母は機嫌が良く「いいよ」と答えた。で、誕生日詐称事件が起こるのだが….

そして嘘の誕生日の5月5日の朝になった….友達5人くらいに「来いよ」と声をかけていた。当時はゴールデンウィークなど無く、5月3日は祝日で、5月4日は学校だった。「何時に行けばいい?」といわれ….「3時頃….」と答えたが母には話せずにいた….当日のお昼前、台所に洗濯機があり、機嫌悪そうに洗濯をしている母におそるおそる「母さん今日、オレの誕生会やるので友達呼んだ」と話すと、ものすごく嫌な顔をされたし、たしか相当な文句も言われたように思う….

庭の見える茶の間と仏壇のある和室の続き間にテーブルをふたつ並べて友達を待つ拓庵少年….何にも楽しくもない憂鬱な午後….母は不機嫌な顔を隠しもせずに台所でチラシ寿司を黙々とつくっている。何回も台所の母を見るが顔はピクリとも笑わない….困った…..「杉本くーん」「拓~!来たよ~!」と楽しいことに飢えているうるさい小学生たちがやってきた。「おう…あがれ…」

普段元気で威張っている拓庵少年は憂鬱な瞳で友達を迎えたにちがいない….ちらし寿司には私の大好きな錦糸卵がたくさんのっていたが、私が普段「こんなのいれんなよ!くそババぁ!」と怒りまくる しいたけがしっかり入っていた。そして母は当時珍しいサイダーも出してくれたが、機嫌は最後まで悪く….小学生なので誰も気が付かなかったとは思うが….私はその日以来 誕生日に友達を呼ばなくなった。

サイダーはガラスの瓶に入っていて家の近くの国鉄官舎購買に買いに行った。木の重い箱に入ったサイダーを足が悪く身体障害者の母に持たせたことは無い。母が買い物に行くときは拓庵少年は必ず母の荷物を全部持った….男は重いものを持つ。これは私が小学生の頃から信念にしていることのひとつである。

月日は経ち、子供たちが小さいころは私も誕生日を楽しんでいた。正直最近はまったく誕生日は自分が盛り上がらないのだが、ゴールデンウイークの旅行を全てキャンセルして家にいたので、普段より凝っている妻の作る食事を毎日いただき幸せだった。私の家にはトレーニングしたりギターを弾くスタジオと呼ぶ部屋があり、2014年の韓国ドラマの『未生~ミセン』を観ながらエアロバイクを相当漕いだ。

フジテレビは『HOPE』というタイトルでリメイク版を放送していたが天と地の差で全く別物と思うくらい『未生』は傑作だった。骨太な内容で、サラリーマンの頑張りと屈折や希望を描いた素晴らしい作品で60歳になる数日前に全て観終わったが、この作品は私への最高のプレゼントになった。毎日見えないプレッシャーと戦って休まることのない自分をこのドラマに出てくる人たちにだぶらせたのか何度も泣いた。囲碁の手にたとえた人生の意味や屈折しても立ち上がっていく主人公の心の中の声にも感動して涙が毎回あふれ出た…..このドラマはスタジオでひとりで観た。本当は妻ともう一回最初から観直したいと思っている。

今晩も妻とふたりでささやかな誕生会がある。優しい妻のことなので色々考えていることだろう。

あまり楽しくはなかったここ数年の誕生日….今夜はすごく楽しみな自分がいる。